新箴言21 どんな場合にも慌てない

どんな場合にも 慌てない人となるには 平素の言動を

できるだけ落ち着いて行うように心がけるべきである



多くいうまでもなく 人間と言いうものは男女の区別なく

いかなる場合にもその人生に活きる際慌ててはいけないのである


というのは 人生に生ずる錯誤(さくご)や過失というものは

その原因が心が慌てたときに多いからである


慌てるというのは またの名を周章狼狽(あわてふためくさま)というが

これは心がその刹那放心状態に陥って 行動と精神がとが全然一致しない状態を

いうのである


心がこうした状態に陥った時というものは 意識は概ね不完全意識になっているのである

いいかええると 心があってなきに等しい状態になるのである

だから さまざまの過失や錯誤が生ずるのも当然である

そしてそういう心になると 時には笑えない滑稽ともいうべき

ミステークさえ行うのである



たとえば 手に持っているのを忘れてその物質を紛失したと

早合点して大騒ぎして捜すなどどいう 常識ではとうてい

考えられない珍芸さえ演出するのである



こういう失態は 平素落ち着いた心的状態で生活行動を行ってないな

ということが その主因をなしているのである

すなわち 人間というものは習慣が第2の天性をなすものであるから

平素の生活行動が落ち着いた状態で営まれていると 

それが知らず知らずの間に習慣化して 日常の人事世事に対しても

どうしても軽挙妄動的(軽はずみでむこうみずな行動をすること)

で対処することになる




昔 柳生但馬守がいまだ修行中の折 沢庵禅師に次のような質問をしたことがある

『一本の剣は扱いやすし されど 数本ともなればいかになすべきや?』

禅師は『1本を扱う時と同じ心をもって 数本もやはり1本1本扱うべし』と。

まことに これまさに至妙の言である



真に沈着な心こそが 明澄なる(明るく澄んでること)意識を生み出し

明澄なる意識こそがその行動をさいぜんとして(区別がはっきりしているようす)

遅速暖急誠によくこれを統御するものである

すなわち武道の極意を把握するものや その他技神(あることに超越した技を有している人)に

入るような堪能精錬(たんのうせいれん)の人はみなこの真理にしたがっている



これあるがゆえに われらはこの真理を深く尊重し心に銘記して

どんな時でも平素の行動をできるだけ落ち着いておこなうように心がけよう


In order that we may not be disconcerted in any event,

we should try to be as self-possessed in our speech and behavior at ordinary time.



新箴言21












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by florence18 | 2014-07-19 17:37 | *how to 6


不安や悩みや病気を乗り越えて スパラシキ人生*にするための方法を書いてます。


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